なぜ、私たちは分割され、さらに忘れる必要があったのでしょうか?実はそこに、大いなる秘密があったのです。
もともとあったひとつのものは、とてもすばらしい存在でした。なにものにも換えがたいくらいのすばらしさです。でも、そのひとつのものは、自分がどれだけすばらしいのか、体験的に知ることができなかったのです。
なぜなら、比較する対象がなかったから。自分しか存在しない状態で、どれだけ自分はすばらしいと叫んだところで、それがなんになるでしょう。無人島に一人でいて、自分のすばらしさを叫ぶ人はいないでしょ。それと同じなのです。
比較対照を作るために、ひとつのものは複数に分割したのです。でも、それだけではダメです。バラバラになったものも、すばらしいものなのです。ミニチュアをたくさんつくったところで、同じもの同士では比較する意味がありません。
それゆえ、すばらしいものであることを忘れることにしたのです。本来のすばらしさを忘れた私たちは、すばらしくないことも選択できるようになりました。例えて言えば、100Wの電球の明かりが最高にすばらしいものだとすると、私たちは、60Wでも40Wでも、あるいは消すことさえも選択できるのです。
そうすれば、100Wと60Wとでは違いがあり、比較することができます。お互いを比較し、すばらしさを讃え、自らもまたすばらしさを選択する。そのことによって、すばらしいとはどういうことなのか、私たちは体験的に知ることができるのです。
これが、この世が作られた理由であり、また方法なのです。しかし、そのことによって私たちには、心に悩みを抱えることにもなったのです。
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